ストーカー達との出会い - 1 -
こんなお話、ご興味を持っていただけるのか分かりませんが、今はGSとなったストーカー達との出会いを書きます
A1 : 2018年 トルコに滞在した時の隣人でした。私とパートナーのみ、同じ建物の4階
彼女は1階
隣街から大学の為に賃貸生活を母親と2人で送っていた
最初に会った時、私は日本人だと言うと
A1は目を輝かせて『いつか私を日本に連れて行くと約束してくれる?』 と言われて、その非常識さに驚いた
彼女の名前すら知らいない
友達でもなければ、何でもない
何故約束しないといけないのか、この初対面のイカれたトルコ人女❢
と、その時から伏線は張っていたが母親を知り、頷く事もあり
その母親は、いつも何か自分の使い古しを洗いもせずに持参し私へのプレゼントだと言う
要らない
と言っても、強引に手の中へ渡す
玄関ドアを開けると同時に部屋の中に入るような母親
私はお返しに小さくても新品を買い、渡していた。今、考えるとお返しなんてしなくても良かった。石鹸やタオル、お花など高くない日曜品をお返ししていた。
彼女はいつも自由になるお金はないと言っていた 頼りは子供だけだ、と
ある日、母親はいつも通りに5秒で我が家のリビングに座り、スマホでこれが欲しいけれど日本でしか買えない、とスマホを見せる。
七宝焼きのアクセサリーだった
もう、話すのも 顔を見るのも嫌になった
夕飯後、親子は毎晩誰かの家へ訪問し12時まで話す
これはトルコでは日常生活
ただ、本当に毎晩出向くのは非常識に入るらしい
そのうち、迷惑だと思っていても1日会わないだけで寂しいと電話するような国民性
到底、私の人生生活には合わない
パートナーは理解していた。ハッキリと言ってくれた。僕らは夕飯後の時間を家族だけで過ごしたいんだ、と。
もう、この時から私はトルコ人アレルギーが出始めていた
A1はパートナーに興味や好意を持っている事は感じていた
スープを突然持って来てくれるのだが、濃い化粧にキツイ香水で持参する
今から出掛けるから、と言って家から出なかった
A1は英語を話したい、もっと上手く話したいと言っていた。だから、私と話したくてしょうがない、と。
若いんだから、大学を卒業すれば世界を見てくればいいと、会うたびに言ったが日本に来られては困る
米国を勧めた
1年ほど経過し、ストーカーが始まる少し前からトラブルがあった
もう私達は引越予定だった
3階、下の家族が2ケ月程前に2階から引越してから事態は悪化
これがG1. G2になる
毎晩狂ったようにG1が大声で喧嘩を始める
夜中2時頃に彼等の家族訪問があり、共通扉を開ける音、玄関ドアを力いっぱい閉めるので4階は揺れる
彼等は音には鈍感な民族であり、赤ちゃんですら毎日祈り5回モスクから流れる、あのドでかい音さえ慣れ、起きない
寧ろ、人に迷惑を掛ける方が好まれる
影響力と勘違いしている所が、ある
この騒音トラブルは本当に最悪だった
その頃、偶然にも同じ町でトルコ人同士の隣人による騒音トラブルで殺傷事件が起きた
なんと亡くなった❢
子供の騒音トラブルだったが、躾など全くしないトルコ人同士でもキレたよう
亡くなったのは子供を見るおじいちゃんだった
私のケースは子供ではなく、狂った大人だったG2はタバコを吸うので上層に二次災害が来る
働きもせず、料理はG2、ま、そういうこと
そのG1が2階から3階に引っ越す迄、3階にはE1が住んでいた
2 へ続く
本日もご訪問ありがとうございました❢